見えている範囲にしか、世界は存在しない

「いやいや宇宙人はいるから」

 妻の強い語調に驚いてしまった。宇宙人がいるという前提ではなく、いることを確信している妻に驚いたのだ。

「え? いないよ」

「いない?」

「いるにしても、地球には来てないよ」

「は? いないってことは絶対にないから。もう地球にも普通に暮らしてるし」

「暮らしてる? なんで?」

 このあとしばらくいるいない、そこにいるあそこにもいる、いないいない、いない根拠

は?? いる根拠こそ教えてよ、とイエスノーのやりとりが平行線のまま続いた。

 結婚する前は、もっと地球外生命体に関して意見は一致していた気がする。こんな前提のことではなく、次の段階の話をしていたはずだ。ではどういう前提だったかと、わたしは考える。宇宙人はもちろんいるという仮定の上で、一緒に映画などを見てこれはありそうだのなさそうだのと話していたはずだ。

 どちらが変わったのか。わたしが微妙に変化したのかもしれない。宇宙人はいるだろうと思っていた。かのホーキング博士も、いると明言していたはずだ。宇宙は広大で果てがない。果てがないということはどこになにがあるか、なんでもありだということになる。つまり地球のような星は無数にあり、太陽のような星と併存して絶妙な距離を保っている星もありうる。だからそこに生命体はいる。そういう流れになる。つまり「いない」と言い切れないから、「いる」という解が出てくる。

 わたしも宇宙人というか、生命体はいるだろうと思う。人間と同等かもっと高度な生き物もいると思う。問題は、その生命体が今までに地球を訪れたか否かだ。

 地球に来るには、高度な文明という漠然とした言いかたでは済まないほどの発達した科

学技術がいる。最低でも光と同等の速さで移動できる宇宙船が必要だ。それですら何年もかかるはずだ。ただ何年で地球に来れるということは、何光年という単位内に見落としている太陽系のような星系があることになる。もちろん地球の観測技術次第では、太陽系に見落としている星があっても不思議ではない。そこに生命体がいるなら、ずいぶん近い距唯である地球に来る意義もあるかもしれない。

 光速の船では何年もかかるのだから、ワームホールのようなものを利用できる技術力を

持った生命体かもしれない。物体ではなく生命体がワームホールを通過するという仮定は、いくら相手が未知の生き物でも無理があるように思える。もっとわたしたちが思いつかないような手法で、時空を瞬時に移動できるのかもしれない。

 例えば肉体ではなく、データのようなものに存在を書き換えるとする。それを他の場所で復元すれば光速に近い速度で移動できる。電波のような波長で伝送するとなると、やはり移動速度が遅すぎるだろうか。光の速度を上限として考えてしまうと、どうしても太陽系付近から生命体がやってきているとは考えにくい。

 寿命が極端に違って時間感覚がまるで違うという可能性もある。地球と同程度の文明レ

ベルだとしても、こちらの1年がその星では1分程度でしかなければ、はるか遠くからの宇宙船飛行もなんでもないことだ。時間感覚が同じだという前提はたしかにおかしい。

 だがしかし、なんのためにくるのかということになる。高速の移動手段をもっているのなら、そんな高度な生き物が地球ごときになにを探しに来るのか。そんな技術があったら、地球程度の星はいくらでも探索して発見できるだろうし、まだ人間のような知能を持たない生物しかいない星も発見できているはずだ。

「金がないんだって。だから来ているんだって」

 妻はそう言う。金や銀やプラチナが採れない星に超高度な生き物がいるのだという。普通に考えれば、地球以外にも希少な鉱石が採れる星なんていくらでもあるんじゃないかと思うし、地球に来れるほどの生き物なら、そんな鉱石の代わりなんていくらでも生み出しそうでもある。

 さらに宇宙人は地球に潜伏しているとう。人間を殺さずにむしろ人間になりすますことで、国や企業の中枢に紛れ込む、人間を飼いならして地球を制するという発想だ。破壊行

為は行わない。

 理解できる。なんだか昔のB級映画のようだ。いずれにしても、なぜその必要が? という疑問は解消されない。

 地球とそこに暮らす人間を中心に考えるから成り立つ話であって、そもそも宇宙は無限

だから宇宙人がいるのであれば、地球のような場所も無数にあり、地球でしか目的を成しえないことは皆無だということになる気もする。

 それはともかく、幼いころから宇宙が気になってしかたなかった。そのスケールから、恐怖ばかり感じたが、大人になるにつれて宇宙人はいつ現れるだろうとワクワクしていた。

SF映画や小説を読んでは夢想していた。各地にある飛行物体の目撃は未来からの時間旅行者に違いない! と興奮したものの、それは過去に読んだ小説の中身だったとあとで知る。

 人の想像力は果てしなくて、もうあらゆることを考えているのだと、それこそまさしく宇宙のようだと思う。

 だからこの宇宙は想像の中にしかないものが具現化したものではないかと、この頃は感じてしまう。