あの記憶
たぶん生きているという実感を持つということは、思い出すことのできる過去があるこ
と。現在をきちんと認識できて、その足りていないものを未来への望みにしたり、満足していることはずっと続いていくようにと、考えることだと思う。
幸せだとか悲しいだとか、あるいは無感情になって虚しいだとか、好きだとか嫌いだとか、それよりももっと些細な、美味しいだとか物足りないとか、釣り合うとか損をしたとか、そういう心の動きもすべてこの脳が担っているというのは、心底驚いてしまう。
恐怖すら感じる。
父が脳梗塞の初期症状の段階で入院して、検査の結果ほとんど機能に異常はないとされ
たのだが、それでも家族からすると以前の父とはまるで違う状態になってしまっている。
徐々に思い出してくるでしょう、と医師には言われているようだが、わたしはあまり期
待できないでいる。
先日実家に行き、4時間ほど父とふたりで過ごした。親子で話すことはさほどない。普段なにをしているのか、買い物はどこへ行っているのか、食事はとれているかと日常のことは聞くものの、その答えひとつひとつを待つのがとても怖い。思い出せなかったり、あるはずのない返答があったらどうしようかと、始終怯えている状況で、だから次第に質問は減ってしまう。
実家の窓から見える空は低くて、そもそも窓は小さくて天井も低い。この狭い部屋で両親と一緒に毎日過ごしていたのだと、その昔を思い出す。この小さな家がわたしのすべてだった。学校とこの家と、行き来していただけだったのに、世界はとてつもなく広く感じた。
父は運転が好きだったので、その頃のハンドルを握る横顔を思い出した。真剣なまなざしで、絶えずハンドルを左右に少しだけ動かしていた。
「なんでまっすぐの道でハンドルを動かすの?」
「うん。退屈しちゃうだろう? だから車が曲がらない程度にね、こうやってハンドルを動かすんだよ」
その会話は何気ない日常の、特別でも何でもないひとコマだ。なのに今でも妙にはっきりと覚えている。小学生のわたしは、いつか自分も運転するときはその動作を真似てみたいと思ったのだ。
記憶はその人その人によって価値がまるで異なる。人生の重大イベントくらいは、記憶という部屋の大きなクローゼットにきちんとしまわれているのかもしれないが、それ以外の記憶の管理状況は本人以外誰にもわからない。
父には父の大切な記憶がある。そしてその記憶の積み重なりが現在のその人を作ってい
る。過去から現在につながる自分の記憶、その連鎖がなければ、もはやわたしがわたしである根拠はないのかもしれない。どんな重要な身分証明でも、それは証明できない。
父の中にある記憶は今回の件で大きく欠落してしまった。父の歴史の一部が消失して、過去がなければ現在の父についても一部が失われてしまったことになる。それを補うのは、父を知る人間、最も近しいのは家族であり、わたしたちが父の姿を記憶しているという事実そのものが父を父たらしめている。
実体よりも大切なものは、各人の心の中にしかないのだとすると、このさして大きくもない脳というものの役割の大きさに、驚く。そして、目に見えることよりももっと大事なものがあるという言葉の真意も、見えてくるように思える。
だからわたしはいろいろなことを、いろいろな人のことを覚えておきたいと強く願う。他人を記憶するということは、巡って自分自身の存する証明にもなるのだと思うのだ。