犬が、かけてくる

 犬が好きだ。まあ猫だって好きだが、犬は格別に好きだ。けれど飼いたいとは思わない。

 必ず死んでしまうということ。出会ってから死んでしまうまで、犬はずっとわたしたち家族のことが大好きなこと。だから余計に失ったときの悲しみは強烈であること。そういった理由から、もうわたしは犬を飼いたいとは思わない。

 実家にいたころはマルチーズがいた。その子は寿命を全うして亡くなり、すぐに似ているけれども全く違うマルチーズがきた。その子もやはり亡くなった。

 最初のマルチーズは成犬の状態で実家に来た。三歳くらいだったと思う。前の家ではあまりかわいがられていなかったと聞いた。小さな子もいることでむしろ犬が邪魔になっていたと。だからうちにもらわれてきたのだ。

 その子は頭を下げてやってきた。うなだれているようにも見えた。わたしは小学生で、父も母もまだそれなりに若かった。毛並みも悪く、白いはずの毛は黄色かかっていた。犬なのだから吠えるだろうと思っていたのに、その日まるでその子は声を発しなかった。

 今回うちにもらってくる仲介をしてくれた、犬に詳しい知人の助言で夜になるとわたしたちは車の中に隠れた。人間が姿を隠せば、その子は鳴くかもしれないと言われたのだ。ワン、というありふれたひとことがききたくて、それがその犬にとって、家族になった証のような気がしてわたしたちは声をひそめて、鳴くかな、鳴かないね、とささやきあった。

 その夜犬は吠えなかったが、両親の心配と期待の入り混じった顔は、いつまでも心に残っている。

 前の家の影響でしょうと、獣医は言っていた。わざわざ病院に連れて行ったのだ。その子は、小学生のわたしにだけどうしてもなつかなかった。なつかないどころか、手を出せば歯をむき出して、それでも触ろうとすれば容赦なく噛みついてきた。手には歯形がくっきりと残り、強く噛まれれば血がにじんだ。最初こそ衝撃を受けたが、どうしても触れたくて無理に抱くこともあった。

 犬はその家の人間を階級付けして、一番下とみると自分より下だと見下すことがある。そういう話もある。餌をくれる人を主人と見るという話もある。だからわたしはちょくちょく餌やり係になった。餌を差し出しながら頭を撫でようとすれば、歯をむき出しながら尻尾を振るというおかしな状況になった。

 少しずつ、わたしと大は仲良くなっていった。噛まれても噛まれてもわたしは味方であって、君が大好きだと撫でまわし続けた。一緒に昼寝したり、庭を歩いたり、ボールを使って遊んだりしていくうちに、犬は威嚇する暇がなくなり、噛む必要性を感じなくなっていたのかもしれない。

 わたしたちは家の中で、一番同じ時間を過ごした。その子のちょっとした目つきや息遣いで、空腹なのか走りたいのかじゃれたいのか、それとも眠りたいのか、わたしにはよくわかった。わたしは中学生になって高校生になった。体はすっかり大きく、実家で一番身長もあったのだが、犬から見ればまだ子どものままなのか、時折忘れていたかのように歯をむき出した。

 歯槽膿漏になった犬は少しずつ歯が抜けて、それでもじゃれついて噛みつくことがあった。犬から見ればわたしはまだ子どもで、わたしからすればこの子こそ、成長しないかわいい犬だった。

 犬は心臓を患って亡くなってしまった。寿命といえる歳だった。そして最後の二年ほどはわたしにとてもよくなついていて、もう歯をむき出すことも強く噛みつくこともなかった。

 だから好きなだけ撫でて、抱いてやることができた。最初は鳴かなかったけれど、半年もするころにはきちんと吠えるようになった。おとなしくて、あまり見知らぬ人には吠えなかったから番犬にはならなかったが、甲高い声で吠えた。

 抱き上げると、はっとするほど温かかった。死んでしまう数日前も、温かかった。その子が死んでしまうと、その温もりと妙な静けさが実家に残った。家の中から音が消えるのはとても淋しい。その日以来、わたしは過度な静けさは好まなくなった。あまりに静かだと、どうしても犬の走ってくる音、家族を探す鳴き声、鼻を鳴らして水を飲む音を探してしまうからだ。

 小さな白い体が走ってきて、わたしに飛びついてくる感覚がある。笑っているような息遣いで、跳ねてくるあの子がいる。

 小さな一陣の風が吹き抜けていくように、たしかに感じることがある。