最後の宴

  アルコールをやめて2年が過ぎた。それまでも毎週末はテニスをして、毎日早朝にランニングをしていた。夜食やジャンクフードが厳禁なのはもちろん、ラーメンにピザやパンに揚げ物など、太るといわれるものはなるべく口にしなかったが、体重は標準の中の少し太り気味あたりにあった。それがアルコールを摂取しなくなった途端、ひと月後から体重は減り始めて1年もすると11キロ減少した。2年経った今は、14キロ減の状態で、横から見てもクリスピーピザのように薄く、筋肉のすじだけが目立つ。どうやら食べ物の制限よりも酒量を制限するほうが、はるかに減量効果はあるようだ。そして結果的に考えると、食事制限よりもアルコール制限のほうが遥かに楽だ。なんなら制限というより禁止のほうが楽だと思う。

 かつては毎日欠かさずに酒を飲んでいた。特に25歳くらいからは酒量が増え始めて、焼酎の4リットルボトルが二週間は持たなくなった。その前にビールを二缶は空けてから焼酎に入るので、結構な量になる。その焼酎も10日ほどしで空になるため、ウイスキーに切り替えた。お徳用の4リットルを買うものの、やはり二週間は持たなかった。毎日記憶がなくなり、まあ家だから問題はないのだが、なにを話したのか、ほとんど覚えていない。夕食を作ったことはもちろん、食べたことはきちんと覚えているが、布団に横になったところは断片的で、写真のように場面場面は覚えているのだが、一連の流れとしては思い出せない。映画なんかは何度見ても途中から酩酊してしまっているために記憶がなく、終わりまでなかなかたどり着けない。適量でやめておけばいいのにと、それこそ何度も言われたが、たとえばビールを二缶だけ飲んでやめるとする、そんな中途半端な酒を飲むくらいなら最初から飲まないほうがましだと、毎回答えてきた。もちろん飲まないなんて選択肢はなかった。風邪はもちろん、親知らずを抜いた日ですら痛み止めと一緒に酒を飲んでいた。もう何年もアルコールのない状態で夜を過ごしたことなどなかった。

 だがある日、やめた。別に体調不良があったわけではない。そのまま飲んでいればいつかは深刻な病気、肝臓か脳が破壊されていたとは思うのだが、それはまだずっと先のことだという思いがあった。やめた理由は単純で、週末に8時間とか16時間とか狂ったように打ち込んでいるテニスで徐々にボールを拾えなくなってきたからだった。頭では取れる、と判断しているボールを全力で走って追いかけても、数センチ差で届かなくなり、それが数十センチになってきた。ひどいときには最初の一歩が出ずに、ほとんど反応すらできないこともあった。

 なぜ前は返せていたボールに追いつくことすらできないのか、脳は取れると判断しているということは、身体が劣化していることに他ならない。加齢による運動機能の低下は抗えないが、体重が重すぎることも大きな要因ではないか、そう考え始めると一刻も早く改善しなければと焦り始めた。食べ物に関しては周囲の人に比較すれば確実に節制している自負もあったのだが、たしかにわたしよりももっと自制している人はたくさんいるし、そういう人はもっと細くしなやかな肉体を持っているのも事実だった。ならばさらに食べる量を減らすべきか、しかしそれは相当に辛いことだがと考えるうち、じゃあアルコールをやめてしまおうと思い至った。

 家にあった酒類をすべてキッチン流しに捨てた。琥珀色のウイスキー無残に捨てられていく様は、とてもシュールだと感じた。キッチン中にアルコールの臭いが立ち込めて、それは決していい香りではなかった。

 飲酒について、その後幾度か思い返した。

 初めて父親と飲んだ日のことだ。父は殊更に嬉しそうだった。ありきたりだけれど、子どもにお酌してもらうのは不思議な気分だと言った。一緒に飲むからといって急に話題が増えるわけではなく、いつものようにつけっぱなしのテレビに目をやりながら、父は笑みを崩さずに飲んだ。いつもより飲んで、顔を真っ赤にして笑っていたことを、妙に覚えている。

 飲酒はたいていの場合失敗したことばかり覚えている。吐いたことはもちろん、記憶を失っていつの間にか帰宅していたこと、気が大きくなって口論になったこと、思い返すのが恥ずかしかったり惨めだったり、もちろん楽しいこともたくさんあったはずなのだが、それらを押しのけて嫌なことばかり記憶している。

 ちょうど今年の10月に父は脳梗塞の手前の状態で入院し、退院したもののやや脳機能に障害が残っている状態で、だからだろうか、一緒に飲んだその日の幸せな記憶はすぐそこに、手を伸ばせば触れられるくらいすぐそばにある気がするのだ。

 近い気はするのに、決して届くことのない場所にその笑顔がある。